大嵩さんは留守だった-2

 

島へ島へと

大嵩さんは留守だった-2

坂を下っていくと、左側には隆起珊瑚礁のティンダハナがあり、右側には波多浜の青い海が輝いていた。ここまできてようやく私は与那国島にきたという実感を持った。前方には祖内の集落があった。その当時、今から二十年前には、赤甍の屋根に、萱の屋根がはじまっていた。やや黒ずんだ萱屋根は、むしろ目立ったほどであった。

祖納には南北にメインストリートというべき道が通っていて、島でたった一つの信号がある。本当はその信号もいらないほどなのに、島民がよそにいった時に面くらわないようにと、教育のために設備されているということである。信号の向こうが、農協と与那国町役場であった。つまりそのあたりが島の中枢部だ。

大嵩さんの家は、その信号の手前を右に曲がって少しいったところにあった。赤甍の清潔そうな家であった。タクシーを降りた私は、ここだといわれた家の前に立った。「ごめんくださーい」開けっぱなしの風通りのよい家に向かって、私は声を上げた。中には誰もいないようであった。「どなたですかーっ」隣の家から男がでてきていう。。私は名を名のり、砂糖キビ畑の手伝いにきたのだという。「オジーは今畑にでていていないさー。オバーはどこいったんだろうね。はいって待っていたらいいさー」こういって、男は隣の家にはいってしまった。仕方がないので、私は玄関から上がり、所在ないまま居間にいた。少々不安がよぎった珍しい人間が跳び込んできたなとばかり、子どもが二、三人やってきて、用心深そうに私を見る。その子供たちはいなくなった思うと、別の角度からやってきて私を見る。私と目が合うと、キャッと声を上げて逃げる。結果としては隣の子たちだったのだが、私が大嵩家の人とそうでない人との区別をはっきりと理解するまで、一週間はかかった。

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