大嵩さんは留守だった

 

島へ島へと

大嵩さんは留守だった

幸いなことに、島に二台しかないタクシーが、空港のターミなくビルの前にとまっていた。私はそのタクシーに乗り、こういった。

「大嵩長岩さんのお宅にお願いします。わかりますか」

「わかりますよー。祖内ですねー」

運転手はいって車を走り出させた。飛行機の乗ってきたのはほとんど与那国島の人だったらしく、みんな迎えにきていた。その迎えの車と肩をならべて走ったのである。「観光ですかー」運転手は私に尋ねてきた。私は少し得意そうにいう。

「砂糖キビ刈りにきたんですよ」「今年は援農隊は呼ばないと聞いておりますよー」「農協じゃやなくて、大嵩さんが個人的に呼んでくれたんです」「そうですかー。与那国のためにがんばってくださいねー。ほら、ここが製糖工場ですよー」運転手が無造作にいった。窓の左側に広い空地があり、その先に少しくすんだ建物があった。もちろん私は昨年島にきて、ここが製糖工場だとは知っていた砂糖の甘く粘りつくほどの香りが漂っていたものだが、まだ操業前だったので、特に香りはない。空地のも刈られた砂糖キビが積まれているということはない。途中いたるところにある畑の砂糖キビは、旱魃ということであるが、よく育っていた。それは私が砂糖キビをよく知らないからであって、平年作のキビとならべてみると、育ちが悪いことがきっとわかるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA