島へ島へと
島の悲願-2
農協の資産は差し押さえられた。員外預金者が一斉に預金をおろしと農協が破産するので、それを予防する意味があったのだが、同時に組合員の預金者は自分の預金をおろせないということになる。緊急に資金が必要なこともあるだろうし、島外に出している子供に仕送りもしなければならない。
農協や島の農民のとってはさんざんな目にあったということだ。製糖工場を買収した際、専門技術職員十三人も引き取った。これから製糖事業をしようという矢先に、農協の資産は凍結され、製糖工場が動かせるかどうかわからなくなってしまったのだ。せっかく植え付けた砂糖キビも、刈り取っても持って行き場所がなくなる。援農隊の労働力は必要だが、それも製糖ができればの話で、できなければすべてが水の泡となる。そんなところまで追い込まれていたのだ。
砂糖キビの増産は、与那国町にとっても、与那国農協にとっても、至上の命題だったのである。町は生産奨励金を予算化し、作付面積を増やそうという政策をとった。そして、その政策は着実に実った。
そこに降って湧いたように、与那国農協の不正が発覚した。その背景というのは、農協の基盤を整備し、砂糖キビを増産して、製糖工業の経営を軌道に乗せたいということである。そのためには膨大な投資が必要で、農協の経営規模が超えた資金がなければならないのだ。小さな農協に、そんな金があるはずはない。しかし、砂糖キビの増産は島ぐるみで取り組まなければならない緊急の課題であった。町議会は夏と年末の議員手当を返上する決議をした。町職労も歳費値上げを求める春闘をやらないことにした。
それならば、農協は何をするのか。時は折から沖縄海洋博が準備されていた。国家事業であるからこれに投資すれば間違いないと誘いかけるのがいた。本土から観光客が押し寄せ、不便な本部半島まで運送する船が必要となる。この船会社を立ち上げるから投資をすれば、農業の近代資金など訳のやく集まる。そこで与那国島に住んでいない与那国島出身者に、裏利息をつけて形だけ与那国農協に預金させることを仕組んだものが那覇にいたのである。
沖縄海洋博には本土からは予想したほど客は集まらなかった。船会社は倒産し、投資した金は不良債権化し、借金ばかりが与那国農協に残ることになった。そんな折の援農隊の出発であったのだ。