自由の天地

 

島へ島へと

自由の天地

与那国島に南からやってきた人々が暮らしはじめ、大雨という災厄からもなんとか逃れた。暮らし向きが落ち着いた頃のことを、池間栄造氏は「与那国の歴史」でこのように描写する。

「大昔、島の人々は山野に生えている木の実、蔓の根をさがして喰べていました。又、海岸に出て魚介類を漁り廻っていました。」

税金もなく、掟もなく、本当に自由の民の暮らしをしていたと、池間氏は書く。この文章で、本当の自由の民の暮らしをしていたと、池間氏は書く。この文章で、私は「アイヌ神謡集」の知里幸恵の序文を思い出す。「その昔この北海道は私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然の抱擁されてのびのびと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう」この二つの文章に共通するのは、豊かな自然からの採集生活の楽しさであり、自由なおおらかさである。山にはいれば木の実や草の根がいくらでもあった。採集生活は苦労ばかり多かったわけでも、いつもひもじかったわけでもない。現代と比べものにならないほどに自然は豊かで、四季折々の変化に富んでいたのだ。食生活が単調になったのは農耕によって人の暮らしが成立するようになってからであろう。たとえば米というものは、一年中食べられる量をつくるのである。野菜にしても、四季の変化によって、栽培できるものは決まっていたことであろう。

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