ウラブ岳の月見-2

 

島へ島へと

ウラブ岳の月見-2

 

民宿さきはらのおばーがまわりの人にいきなりいう。いこういこうということになり、民宿さきはらのおじーがトラックを運転することになる。みんなは我先にと荷台に跳び乗っていく。私も乗った。

島の外では人がトラックの荷台に乗るのは道路交通法違反になるが、島ではトラックは最大の交通手段だ。駐在所に警官が一人いる。そんなことでそんなことで取り締まろうものなら、実際に取り締まった例がないのでわからないにせよ、大変なことになるに違いなかった。

今でこそ島内にはアスファルト道路が縦横に通っているのだが、当時はウラブ岳にいくにはずいぶん迂回していかねばならず、しかも砂利道であった。暗い夜道をトラックが大きくバウンドするたび、荷台の鉄板に尻をしたたかに打たれ、荷台に乗っている男も女も一斉に悲鳴を上げる。それがまた楽しかったのであった竹が道の方にかぶさっていて、荷台を掃くようにしていく。そんなことでもまた悲鳴が上がる。気持ちのよい風が吹いてくる。私は三十歳の半ばであったが、まるで青春が戻ってきたような気分になったものだ。ウラブ岳の山頂には大きなアンテナが並んで立っていた。そのために工事用の道路が通っているのだ。おかげで私たちは月見ができる。トラックが止まったので荷台から跳び降りると、四方に海が見えた。暗い海と月あかりが染みた空との間に、微かに水平線が見えた。満月の下の海は、黄金の光の粉がこぼれたようにキラキラと輝いていた。本当に粉が降りそそいでいるかのように見えた。自分は今日日本列島の最南西端の与那国島にいるのだと、荷台に乗ってきた連中は皆しみじみと思ったに違いない。

運転台にいたのはおじーとおばーだった。おばーは三線を持ってきていて、みんなの前で民謡を歌いはじめた。三線が出てくると、ナイチャーは聴く側にまわるしかなくなる。文化の違いを思い知るのだ。いつしかウラブ岳山頂の月見の会はおばーの民謡を聞く会になっていた。月も聞いているかのようであった。

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