コンビーフなるもの。-2

 

島へ島へと

コンビーフなるもの。-2

宇都宮で私の母は小さな飲食店をやっていたから、もちろんコンビーフの缶詰は見たことはある。だがそれは高い棚の上にならんでいて、こどもにはとても手に届かない。母の店で最も高価なのがコンビーフの缶詰で、つぎが鮭缶だった。正月でもなければコンビーフは食べられなかった。それも薄く切って、刺身のように醤油につけて食べるのだった。沖縄にくると、コンビーフなどいくらでもある市場通りにいくと、アメリカ製の缶詰が山と積まれている。国産品よりアメリカ製の缶詰が百倍上等だと思っていたから、正直にいうと私は沖縄の部室的な豊かさに圧倒されたのだ。いくら驚いたところで、金がないのだから何も買うわけではなかったのだが・・・・。「サンドイッチシャープ」で食べるコンビーフ炒めは、私のとっては沖縄から眺める豊かなアメリカだった。なにしろ牛肉などほとんど食べたことがなかったのだから、糸のように切ってある牛肉の味は心からうまいという感じだったものだった。それに安いことが嬉しい。私はコンビーフ炒めライスが食べたくなれば「サンドイッチシャープ」の看板を探す。そうでなければ沖縄風の食堂にはいって、ゴーヤーチャンプルやトーフチャンプルや中味汁や足テビチや魚汁に御飯をつけて食べた。

何を見ても食べても珍しかった。栃木や東京での暮らしと、まったく違ったからである。アメリカ製品は東京暮らしからもうかげえる憧れであったが、ゴーヤチャンプルや足テビチは私には本当に珍しいものであった。東京からうかがうのではなく、後に旅をくりかえすことになるアジアの空気とつながるのもであり、本当は幼いころから栃木あたりの生活でひたっていた水脈なのである。その時は不分明ながら、ゴーヤチャンプルの苦味を噛みしめつつ私が感じようとした魂の古層がそこにあるのだ。

でもその当時の私は、表面の賑わいに浮かれてコンビーフ炒めをせっせと食べたのだった。

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