離島農業の現実

島へ島へ島へと

離島農業の現実

まるで呼び寄せているかのように、困難は次から次へとよびよせている。製糖工場の寮は使えず、民宿に泊めてもらうことにしたが、急なことで蒲団が足りない。その晩は米軍払い下げの寝袋などを使ってどうにか過ごし、翌日に毛布を石垣から飛行機で運んでもらう。枕は藤野さんや他のスタッフや農協の女性職員が縫ってつくってくれた。与那国農協や町があれほど熱心によんでくれたのだが、実際にきいてみると、受け入れ態勢がまったくできていない。

肝心の作業をはじめることもできない。砂糖キビの製糖工場は農協に変わって沖縄県経済連が操業することになったのだが、工場買取りや創業資金を融資したのは県信連で、収穫した砂糖キビ原料一トン当たり二千万円を農家から差し引くとの条件が出されていた。農家は一日二百トンの原料を搬入しなければならない。などの厳しい条件が出されたこともあり、反発もあって話がまとまっていなかったのである。農家は農協に預金しているのだが、その預金は完全に凍結されていて、キビ一トンにつき二千円引き出されるということは、唯一の収入がより細かくなるということなのだ。また労働力の少ない与那国島では、毎日二百トンを収穫しつづけるのははじめてのことである。あまりに過酷な条件は、簡単にのむということではない。最後の一線で農家もゆずれないと踏ん張っていた。

援農隊にとって、島の事情は寝耳に水である。

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