島へ島へと
辺戸岬の奥-2
運転していた人が世話してくれ、私たちは公民館に泊まることになった。そこは土間のある公民館だったとぼんやり記憶がある。十五人ほどの団体の先客があり、私たちは隅の土間のほうに寝ることにした。夜露を防げるだけでありがたかった。
先客は琉球大学の学生たちであった。私も東京の学生だから、お互いに珍しくていろんな話をした。その内容までは覚えてない。そのうち学生たちは座敷に座布団をならべ、座敷の隅のほうを
舞台にした。
夜になると、集落の人が一人二人と集まってきた。さして広くもない公民館の内部は、人でいっぱいになった。みんなこの夜を楽しみにしているふうな顔であった。学生のリーダーが挨拶をし、学生たちによる寸劇や楽器の演奏がはじまった。私たちも土間の端から見ていた。日本復帰前で那覇のあたりは政治活動がさかんであったのだが、学生たちの演じるものに政治的要素はなかった。この村の人たちすら楽しんでもらおうというのであった。都市の学生と村の人の積極的な交流の場に接したことのない私たちは、不思議な世界であった。昔の山村工作隊もこんなものだったのだろうかと、私は考えてみたりもした。
学生の出し物が終わると、集落の側からの返礼とばかりに泡盛が一升壜で何本もだされ、三線と太鼓がでて、歌と踊りとがはじまった。私たちにも泡盛がふるまわれ、たちまち大宴会の様相を呈してきた。東京からきた大学生の私たちは、珍客であった。琉大の学生も集落の人も、私たちを大切にしてくれたのだが、どうしても一線があった。外部の私たちがいるために、琉大の学生と奥に人は同じアイデンティティを持つ沖縄人としてむしろ強い意識が働いているように、私には思えたのだ。
賑やかな沖縄らしい宴会に入ったのは、私にははじめてもことだった。