アメリカの万年筆-2

 

島へ島へと

アメリカの万年筆-2

親父はそれをとって、ガラスの上に置いてくれる。それからインク壜の蓋をとってくれる。新しい万年筆のキャップを回転させてはずし、金色のペン先をほんのわずかインクの液体にひたす。どっぷんとひたすと新品の万年筆が汚れてしまう気がするのだ。

傍らに置いてあるメモ用紙に、丸をいくつもずらしながら書いてみる。万年筆はちょっと書いたくらいではそのよし悪しはわかるはずもないのだが、感触ぐらいはわかる。ちょっとペン先が硬いかなあという気もして、別の万年筆をとってもらう。試し書きをしても、それでわかるはずもない。

またきますといって、結局店を出てしまう。気負いが強すぎるため、一本の万年筆を選ぶことができないのだ。親父はこちらの気持ちを見通していて、またいらっしゃいとさり気なく言ってくれる。一まわりして、またくることになる。あるいは翌日、翌々日にきて、同じことをくり返し、確信が持てないまま一本を買うことになるのだ。その店では一番安いものかもしれないが、私にとっては最高級品である。

インクはたっぷりいれてもらった。ケースにいれたまま鞄にしまってあるのだが、晴れがましい気分である。さっそく使ってみたいので、土産屋で絵葉書を買い、昼食をとる食堂のテーブルでさっそく書きはじめる。故郷の親に旅先から手紙などだしたことなどないのに、新しい万年筆のおかげで親に孝行まがいのことをするようになる。友人たちも片っ端らから絵はがきを出す。

絵はがきを読んでもらうというより、万年筆を使いたいというただそれだけのことである。おそらく、自分自身への土産はその万年筆一本だけだったはずである。

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