島へ島へと
はじめての与那国-2
もちろん砂糖の生産形態が交通を必要としている。砂糖キビの茎を短く切って埋めていく蒔きつけは、時間をかければ少数でもできる。一年半かけて育てるのも島の人数だけで充分だ。しかし、刈り取りは一気にやり、刈り取ったキビはできるだけすみやかに製糖工場に運んで黒糖に仕上げる。だから製糖時期だけはどうしても島の外の人間の力が必要なのだ。
こうして外部と交通しなければならないのが、離島の宿命である。交通するのは大変なことなのだ。そのため乗客が十九人しか乗っていない飛行機が着くたび、島の心を率直にみせるような歓迎の仕方をする。小型トラックで荷物がターミナルに運ばれ、台の上にのせられる。自分の荷物をとると、迎えの人がそれぞれの車に運んでいく。あんなにごったがえしていた人も、たちまちいなくなってしまうのである。製糖作業のまっただ中で、迎えにきた人もすぐに砂糖キビ畑や製糖工場に戻らなければならないのだ。
私は援農舎の藤野浩之さんといっしょだったから、この先どうなるかなど心配することもなかった。民宿の予約もしてあったし、藤野さんと同室で泊ればよいのだ。藤野さんには援農舎スタッフの稲垣さんが、民宿の小型トラックを借りて迎えにきていた。
「飛行機は順調に飛びましたね」
迎えの人の最初の挨拶は大体このようなものだ。本当は欠航になって石垣島で一日待ったのだが、そのくらいは仕方がないことで、石垣空港を出発してから引き返しもせず無事に飛んできたというほどの意味である。
「援農隊は順調ですか」
藤野さんが問うと、稲垣さんは応える。
「順調ですよ。事故もなく、トラブルもありません」