ナンミンの噂-2

 

島へ島へと

ナンミンの噂-2

以上は歴史のことであって、私が沖縄を旅していた1960年代後の半から70年代はじめは、アメリカ兵相手の遊興の地となっていた。ラスベガスもかくやと思うばかりのネオンが立ち並び、夜空を焦がしていたのだ。もちろん沖縄の人もでいりする。

ナンミンといえば善良な市民たちは尻込みするような、那覇の悪場所であっあた。那覇市の真中にある歓楽街の桜坂はどちらかというと地元の人向けに小さな酒場が並んでいるのだが、ナンミンはもともと対外国人対策としての要素を持っていた。辻は薩摩や中国との関係において、一般の婦女子を守る性の防波堤であったのだ。

当時の私は、もちろんそんなに詳しくは知らなかったが、ナンミンはなんとなく恐ろしいところだという漠然とした印象を持っていた。どこにでも平気で足を踏み入れて行く煙のようなものおじの無さがあったが、それでも私には尻込みする気分がある。でも、金がなくなったので、

そんなことは言っていられない。私は安里ユースホテルからナンミンに向かって歩き出した。

国際通りをまっすぐ南下していき、時々人に尋ねながら、波上宮を目指すのである。しかし、どこからナンミンなのかわからなかった。ナンミンはどこですかと、あからさまに聞くのがはばかれたのだ。

西武門の交番がある。それから少し行くと、大きなネオンをかざしたナイトクラブが並んでいた。真昼間なので、ネオンはまるでかれきのように見えたのだった。そのあたりがきっとナンミンだろう。

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