ナンミンの噂

 

島へ島へと

ナンミンの噂

沖縄を旅行中に路銀の尽きた私は働ければならないのだが、砂糖キビ畑で仕事を見つけるのは困難であると判断しなければならなかった。結局私はどこからやってきたのかわからない危険な存在だった。「それなら、ナンミンに行けばいいさ。あそこならいろんな人が集まるから、どこからやってきたなんて問題ではないさ」

そう言ってくれる人があり、私は那覇に戻り、安里ユースホテルに旅装を解いた。このユースホテルは旅人たちの基地のようになっていて、気やすい雰囲気があった。

ナンミンは波上である。波上には琉球八社の一つ波上宮がある。熊野三社権現をまつっている。「比権現ハ、琉球第一大霊現ナリ。建立ノ時代ハ遠シテ人知ラズ」と「琉球神道記」に書かれている。1522年

(尚真46年)に日秀上人が自刻した阿弥陀如来、薬師如来、先手観音菩薩の三像を三所権現の本地、すなわち世の人を救うために神となってこの世に現れた仏菩薩としてまつったとものの本にある。神仏習合の新願所である。社殿が海に向かって突き出た崖の上に建てられている。ナンミンは波上宮の門前町として栄えたところであるが、しかし人がナンミンという時、まったく別の意味がある。かつてはそのあたりに辻の遊郭があった。娼妓をジュリと呼ぶ。王朝時代は、中国からの使者の冊封使たちが数百人も数か月滞在する場所があった。後にはあらゆる階層の男たちが出入りする売春地帯になり、男は出入りしても生活することは許されなかった。ジュリ以外を「俗の人」と呼んで、外の世界とは結界をもうけたのである。

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