基地の外

 

島へ島へと

基地の外

基地の広々とした空間から、再びゲートをくぐってコザの街の出ると、家がひしめきあっていた。それぞれの家は小さくて、人々はくっつき合って生活している感じであった。人々の暮らしは貧しいかもしれないが

何よりも平和だった。

一方、基地の中は豊かで、フライドチキンも簡単に食べることもできるし、ジョニーウォーカーのウィスキーも望めば売店で買えるとのことであった。ヒッチハイクで私を基地の中に案内してくれた男は、もしお前が望むなら、ジョニ黒でもジョニ赤でも買ってやるぞといった。

私は買ってくれとは頼まなかった。第一に、金がなかった。ジョニ赤の一本ぐらいなら買えるかもしれず、その基地の外に持っていけば高くも売れるかもしれないが、そんな行為はつまらないように思われた。

アメリカ風の住宅があり、スーパーマーケットがあり、劇場があり、

クラブがあり、アメリカの田舎町と変わらない風景だったのかもしれない。亜熱帯の光の中で人は満ち足りた暮らしをしているのかもしれないのだが、そこは戦場であることを私は知っていた。

連日連夜B52爆撃機が編隊を組んで東シナ海に飛び立っていき、台湾

フィリピン、東シナ海を超えて、北ベトナムのハノイ、ハイフォンに大量の爆弾を投下していた。地上ではまさに血で血を洗近代兵器と無尽蔵といってもよい物量をもってしても、ベトナムのジャングルや田園にひそむ貧しい農民ゲリラ兵の手こずっていた。

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