基地の外-2

 

島へ島へと

基地の外-2

それら戦闘の詳細は、テレビや新聞で全世界に伝えられていた。アメリカ軍にどんな大義名分があろうとそこには正義がないと。、多くに人が考えていたアメリカの若者はどんどん戦場に送り込まれ、犠牲者も天文学的な数字にのぼり、嫌戦気分が国内に充満していると報道は伝えられていた。学生運動、ヒッピー・ムーブメントによる反戦運動は日々日々に激しさを増していた。一方、日本国内でも反戦運動はいよいよ過激になり、世間は物情然としていた。沖縄でも本土復帰運動と呼応して、ベトナム反戦運動が渦巻いていたのだった。

それが大情況である。一番平和なのは、基地の中ではないかとさえ思われた。基地は丈夫なフェンスで覆われ、兵士がしゅっ中巡回警備する。もちろんげーとは完全武装した兵士に警固されている。フェンスの内側の自分の農地をいつもどおり耕していて、誤って射殺された農夫のことなどが、たびたび新聞を賑わせていたのだっあた。

基地の中の平和は、武力によってつくられた局所的なものだ。これは軍隊による平和の象徴のようなものである。どんなに物質的に豊かに見えようと、武力によってかろうじて守られた平和は、実に危ういものである。ヒッチハイクによって思いがけず基地の中にはいった私は、アメリカ人の男に親切にもてなされフライドチキンまでご馳走になりながらもそんなことを考えた。

だから、小さな家が軒を連ねたコザの街に出て、私はほっとしたのであった。ここには兵士によって警備をされなければ守られない平和ではなく、そこに投げ出しても誰も壊さない当たり前の平和があった。ジョニ黒がなくても、泡盛を飲めばよい。外にでてから、私は基地の中で知らず識らず身体に力がはいっていたことにきづいたのだった。

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