援農隊募集-2

 

島へ島へと

援農隊募集-2

どうも楽しみな文面である。このことに藤野さんは違和感を覚えたと、

「与那国島のサトウキビ刈り援農隊」で書いている。

「これを見た人が思い浮かべるイメージが甘くなるのではないかと思われたからだ。だが、わたしはこのチラシができた後にこれを読んだのだった。また希望者には農家住み込みでもできると書いたが、実際には受け入れ農家はあらわれず、結果的には住み込みはできなかった。」

北の地方に住んでいる人からは、南島は楽園と見える。いつも花が咲いていて、バナナが実り、Tシャツと短パンとゴムゾウリで過ごすことができる。冬もないのだし、そんなに働かず、適当に楽しくやっていればいい。

それが楽園のイメージなのだが、現実はもちろんそんなものではない。

南島で生きるのは、孤独に耐える強い気持ちがなければならない。砂糖キビの仕事は私も経験したので身に染みているのだが、過酷きわまりない。

だが砂糖キビというだけで、甘やかな汗をいっぱいにためた南国の豊かなイメージで満ちている。そのことによって南島への誘いとするには、リゾート気分で遊びにくる人に向かってではない分だけ、結果として危険だと藤野さんはいっているのである。

しかし、最初から過酷さを前面に出したのでは、人はやってこない。苦しさの中に南国の楽しさもあるというのが、本当のことであろう。

募集人員が八十人のところ、説明会には五百人以上が集まった。援農隊の目的は与那国島の農業振興を助けることで、仕事はらくではなく、日当

男は三千五百円、女三千円で高いとはいえない。出稼ぎによる日当目当てをしようという心づもりの人には、条件は悪すぎる。それでもきたいという人を求める。主催者とすれば、そんな説明をしなければならない。

与那国島への援農隊に参加する動機、決意、体力、畑作業か工場勤務かの

希望等を記した書類を提出してもらい、八十人の採用は主催者のほうから後日連絡することにした。主催者の手元に残った書類は、三百通を超えていた。それほど多くの人が与那国島の過酷な労働そに何かを求めていたのだ。しかも、そこまでの参加者は、東京ばかりではなく、北海道から東北

地方、大阪からも来ていた。すべて自費でそこまで参加していたのである

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA