砂糖キビ畑で見られる

 

島へ島へと

砂糖キビ畑で見られる

働きたいし、使いたいのだが、お互いの心理の糸を結ぶことができず、話もろくにできない。一九六〇年代後半、沖縄がアメリカ軍政下にあった時代、沖縄の砂糖キビ農家の親父と東京からきた大学生はそんなふうだった。沖縄の強い訛に耳が慣れていなかった私は、何を言っているかも聞きとれないほどであった。結局私は砂糖キビ畑を何箇所かまわっても、使ってもらえなかった。技術はともかく、屈強な体格をして若く元気なのにである。路銀はそろそろ尽きようとしている。鹿児島まではいけばななんとかなるだろうが、その金もないのであった。それならどうしたらいいのか。世界共通のことではあるが、土地に生産関係を依存している農民は、土地を守ろうとしてどうしても保守的になる。素性のわからない人間に対しては、どうしても保守的になる。東京の大学生と名乗っても、どこからやってきたのか得体の知れない私は、どんな災いを持ち込まないともかぎらない。災いとは、働かなくてもいいといって、サボタージュしたり、人に怠け癖を植え付けたり、その土地にある上下関係やいろんな関係を否定したり、つまり悪い思想を持ってくるかもしれない。この思想というやつは目に見えないから、どんな外見で近づいてくるかわからないのである。そんな危ないかもしれない人間なら、自分たちの領域にいれないほうがましだ。砂糖キビ畑の手が足らず、働いてもらいたいのはやまやまではあるのだが、とりあえずかえってもらおう。

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