水争いの現場

 

島へ島へと

水争いの現場

朝はアシボシ、夜はヨボシ大嵩のおじーは田んぼを歩きながらいった。朝は星がでている暗いうちから起きて、夜も星がでるまで動いた。それでもサツマイモしか食べられなかった。米はたべるものではなくて、売るものだったのである。米を食べれるようになったのは、島で製糖事業がはまってからである。

田んぼや畦に草や藁を敷いて寝転がり、一晩中夜空を見上げている気分はどうなんだろう。毎晩毎晩の動きを眺めていると、運航の法則のようなこともわかってくるのだろう。星の物語が発生するかもしれない。

だがもちろん、ひたすら現実の要求で、田んぼに泊まるのである。

現在のように自動車道路が通っているわけではなく、馬に乗っていく。ひたすら仕事に追われ、行き帰りの時間を惜しんだということなのだ。

焚火をたき、サツマイモを焼く。イモをかじりながら、泡盛を飲む

その時、泡盛はしみじみとした人生の友だったに違いない。過酷な現実かもしれないが、私が思い描くのは悪い情景ではない。

私はおじーの後について、田んぼの水の中を歩きまわった。

水泥棒は低い位置にある田んぼの持ち主がやったに決まっている。

誰が水泥棒なのか、よくわかるのである。

水泥棒の現場はすぐにわかった。棒を田んぼに垂直に立てて穴をあけ、横からまた棒を突き立て水路を結ぶ。水の面に皺が寄り、ゆっくりとした大きな渦を描いている。月光の下で、その模様がはっきりと見えるのである。

それからおじーは畦道に生えている木の枝を鎌で刈り、水泥棒の現場に突き立てた。現場をおさえたのだから、二度とやるなということである。もちろん水抜きの穴は、足の裏で泥を寄せて埋めた。

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