オジーの訃報-2

 

島へ島へと

オジーの訃報-2

「島で力一杯生きた生涯でした。オジーのことは忘れません。安らかにお休みください。」

これが手帳に走り書きしてある電報の文面だ。私は三月二十五日に出発し、その日は石垣に泊まって、与那国には翌日にはいる。ツアーだからそうなるので、私はその日のうちに与那国にはいってしまうところである。オジーのことがあって、この日程はますますもどかしい。しかしながら、「援農隊三十周年記念式典」まで、私は約束がいろいろ詰まっていて身動きがつかない。

午後少し遅く与那国に電話をすると、またケイコさんがでた。その日は空港の仕事は休んだのだろう。情報は少し詳しくなった。オジーは石垣島の病院の検査にいっていて、それで亡くなったということだ。検査で死に至るということが、私にはどうしても納得できない。ケイコさんも納得できていないのだが、そこまでしか知らないのである。とにかくオバーはオジーとともに与那国の家に向かっているということだった。

我が家に最初の一報をいれてくれたのは藤野さんである。藤野さんなら、農協か役場の人の電話をまずもらうであろう。そこで藤野さんに電話をいれるのだが、いつも留守電だった。

私の焦りが空回りしたような一日であった。

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