島へ島へと
自由の天地-2
現代に生きる私たちは、自然の多彩さと豊穣さとを心から知っているわけではないのだ。いつか私は石川県白山山麓で、縄文人が何を食べていたのかという研究論文を読んだことがある。遺跡から発掘調査によって物が発見されたというのではなく、何を食べることが可能かという研究である。サケやマスが川を遡上するし、川に一年中いる魚もいるし、海に出れば魚がいることはもとより、貝などは砂利のように拾うことができたであろう。こうして貝塚ができたのである。山は山菜の宝庫であるし、芋や実や葉があり、クマやシカなどの動物もいる。どのようにとったかわからないにせよ、冬になればカモやガンや白鳥なども飛来してきたのである。一年中食べることにか事欠かず、しかもおいしいものを選んでいれば、豊かな生活ができた。このような生き方を、現代ではグルメというのである。
与那国島は周囲を海に囲まれ、美しい入れ江もある。大潮の干潮には干潟も広くできるのだ。森も深く、植物の恵みも多かったであろう。人々はまさに自由の民の暮らしをすることが可能であったであろう。
だが豊かな自然も、時には恐ろしい災厄をもたらすのである。「与那国の歴史」によると、ある日突然青空が橙色になり、赤い色になり、紅の炎となって、暑くなってきたという。人々は祈るほかなかったのだが、いっこうに効き目はなく、とうとう火の雨が降ってきたとある。人々はどうすることもできず、ただ逃げまどうばかりで、多くの人が死んだ。山火事がおこり、全島を焼きつくしたのであろうか。植物が枯れるほどの激しい旱魃があったのだろうか。
一家族が神の声を聞き「どなだ・あぶ」と呼ばれる縦洞に隠れ、生き残ったという。池間氏は次のように書く。「その子孫からは耕すことを知るようになり、又働いて余分な物を蓄えることを知るようになりました。その為に、島は栄えるようになりました。」
大災害が起こり、そこから生き延びるために農業をはじめる。これは農業の起源としてもまことにおもしろい。
