混沌としたサンアイ・イソバ

 

島へ島へと

混沌としたサンアイ・イソバ

仲尾金盛を将とする宮古軍はサンアイ・イソバ一人においまくられ、ウブンド山中で木を伐り倒して筏をつくり、ほうほうにていで与那国島を脱出した。サンアイ・イソバにすれば、村を焼かれ、兄弟である按司を殺され、仲尾金盛に対する怨みは深かったであろう。しかし、船をつくつて宮古軍を追撃するほどには、造船や操船の技術は発達しなかったであろう。

そうではなかったという伝承もある。サンアイ・イソバの仲尾金盛に対する怒りは深く、簡単にはおさまらなかったという。ウブンド山にはいって木を伐り倒し三年かかって船をこしらえたという。それから与那国島を船出して石垣島に渡り苦労の末に仲尾金盛の片腕を切り落としたとされる。与那国島の側の伝承で、実際のところはどうだったのかわからない。

与那国から石垣までの距離は、一二七キロである。島から島というのならもっと近い。しかしこの距離は、勢いで漕いでいけるという安易な距離ではない。しっかりした船をつくり、それを綿密な計算のもとに操るという、確かな技術がなければならない。

サンアイ・イソバが与那国島から出ることができたのかできなかったというのは、実は重大なことなのである。それはサンアイ・イソバという人物の性格と、与那国島の歴史の中の位置を決める重要な要素だからだ。サンアイ・イソバは豪傑であり、女性であり、シャーマンであり、中央集権的な統治者であり、農業者である。一説によれば、乳房が四つあったともされる。乳房がたくさんあるというのは豊饒のイメージであり、犬を思わせる。久米島女を愛した「いぬがん」からの連想かもしれない。乳房が四つあるというのは、人間ではなく、異類婚からうまれたという推測が成り立つ。人間ならざる異常な力を有するというのは、自然の何かと結びついていたかということで、文化的な秩序による統治ではない。

サンアイ・イソバの伝説を読み解いていくと、自然そのものの荒ぶる力と、その自然の力をコントロールしようとしたシャーマン的な呪力と、中央主権的な文化的農耕的秩序を感じることができる。この混沌とした雰囲気がサンアイ・イソバの持つ空気であり、与那国島の社会が自然の採集による生活から、農耕的な整然とした村落社会への移行過程にあったことを読み解くことができる。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA