与那国町農協の危機-2

 

島へ島へと

与那国町農協の危機-2

援農舎とすれば選考会まで開いて人を集め、与那国島に送り出すばかりに準備を整えていたのである。出発まで中二日しかなく、出発をみあわせろといわれてもすでに家をでてしまった人もいる。すでに矢はなたれているので、弓にもとのとおりにおさめろといっても無理な話である。

とにかく電話をしまくり、晴海埠頭にいって援農隊の参加者をつかまえた。理解して家に帰った人もいたが、沖縄にいって他に働き口を見つけるといってそのまま出発していった人もいた。

藤野氏たちはあらゆるつてを頼り、キビ刈り援農隊の受け入れ先を探した。八重山毎日新聞が協力をしてくれて呼びかけてくれ、石垣島と小浜島に十人に満たない数が受け入れられた。

一方、当の与那国島では農協の幹部がそのような失態をしたのだが、砂糖キビはどんどん育っていく。刈り取るべき時に刈り取り、製糖をしなければ、島は本当に倒れてしまうのだ。砂糖キビの立ち枯れは、島の立ち枯れを意味すた。そのために与那国町長は沖縄県農協中央会に製糖工場の操業を肩代わりしてくれるようにと要請していた。

沖縄県や沖縄県農協中央会では、与那国島の援農隊受け入れはそもそも反対の立場であった。そもそも失業者の多い沖縄に本土からの労働者をいれたら、ますます

失業者が増えるといえるのである。しかし実態は与那国島のような離島に、沖縄本島から砂糖キビ刈りの季節労働者がはいるのはまったく稀なことだった。

そうであったが、沖縄県も沖縄県農協中央会も、与那国島に援農隊を受け入れないよう指導していたのである。

このような状況で、砂糖キビの収穫はいやおうなくはじまっていた。韓国から季節労働者が四百名近くはいってきたが、沖縄県全県下にであり、与那国島にはこない。与那国島では援農隊をあてにしていたからである。援農隊がこなければ、与那国島ではどうにもならないところまで追いつめられていた。

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