島へ島へと
砂糖キビ畑で働きたい-2
もちろん町長や農協組合は乗り気になった。そこで黒田氏が与那国島にいき、説明会を行った。人手不足に苦しむ農家から援農隊員を求める声が殺到すると期待していたのだが、自分の家に住み込みの人を入れるという農家は一人もいなかった。李氏朝鮮の済州島漂着民がやってきた時、与那国では漂着民を助けはしたが村の外に小屋をたてて交代で食事を運ぶばかりで、共同体の内部にいれようとはしなかった。それとおなじことが起こったのだと、藤野は書く。
この共同体を守ろうとする用心深さについては、私個人にも似たような体験がある。本土復帰前の沖縄を旅して、旅費がなくなりそうになったことがある。当時の私は、最初から旅費をたくさん持っていたわけではなく、金がなくなったところで働けばいいやと思い、身軽にそれを実行していた。
沖縄は若者が旅行するのに実に楽なところだったのである。ヒッチハイクが簡単で、道路を走る車はどれもヒッチハイクされるのわ待っているような感じさえした。実際、通り過ぎていった車に向かって親指を立てると、バックミラーで見ていたのかバックで戻ってきたりした。全体に人懐かしいような気分があり、仕事を見つけるのは簡単なように思われた。
ヒッチハイクで車に乗せてもらった人に、仕事がないかと尋ねると、ちょうど砂糖キビ刈りの季節で、どこでも人手を欲しがっているといわれた。
「仕事を見つけるって簡単さー。連れていってあげるさー」
こういってその人は砂糖キビ畑に連れていってくれた。道路に車を止め、ばさばさとキビ倒しをする人のほうに歩いていく。私は話がつくのを車での中で待っていた。この今からでも働くつもりであった。
私は遠くから見られているのがわかった。やがて戻ってきた人は、首を横に振りながらいった。「どこのものかわからん人は使えないといっとるよー」