島へ島へと
波之上の歳月。
波之上の「ビアホール清水港」で働いたことは、私のとってよい思い出である。私は沖縄を旅するたび、あの思い出の香りをかぎたくて、波之上に足を運ぶ。
ある日、マスターとママの顔が見たくて「ビアホール清水港」にいくと、外装がまったく別のものになり、派手なネオンサインが輝いていた。潜りのナイトクラブではなく、正式にAサインの看板をだした堂々たる店に生まれ変わっていたのである。名前も「チャイナタウン」となっていた。尋ねると、経営者は別の人だった。
夜空に怪しい花を咲かせたような、赤と緑と黄色の三色のネオンサインであった。「ビアホール清水港」のひっそりとしたたたずまいが、懐かしかった。今から思えば、あの頃が波之上の最後の輝きだったのかもしれない。ベトナム戦争は最後の決戦に向かって、いよいよ惨烈になっていた。すべてに余裕がなくなり、Aサインバーが閉まってから開くアウトローの店など、許容できなくなったのかもしれない。