島へ島へと
原点に立つ-2
藤野さんたちの決断で、一月三十日にとりあえず出発することになった。不確定要素もたくさんあったのだが、それ以上遅らせるとその年の操業には間に合わなくなる。また伊江島でも受け入れてもらえるようであった。あたふたしているところに、与那国島での製糖工場での操業が決定された。製糖工場が動かなければ、与那国島の主産業の農業は壊滅的な打撃を受けるのである。とにもかくにも援農隊は、予定より三週間遅れて出発することになった。全日空が正規料金の半額で乗せることを了承してくれた。船で行けば一週間はかかり、またまた遅れることになる。この時点で、自宅でじっと待機している人たちがいた。与那国島からの要請は八十人であったが、五十人がすぐに集まった。残りの三十人は、選考から漏れた人に再度連絡をとることにしたのである。
この記録を今読み返してみるて、私は藤野さんたちの与那国島への絶対的な愛情を感じるのである。昔から私は藤野さんの人なりをよく知っているのだが、この困難きわまりない状況の中で、原点を忘れなかったことはまことに立派であると思う。普通なら藤野さんたちは与那国農協に裏切られたのであり、ここで計画が終わっても仕方のないことだ。この点は大いに学ぶべきである。藤野さんは共同通信社に勤める新聞記者だ。彼は有給休暇をとり、援農隊の参加とともに沖縄に飛んだ。