石垣の一夜-2

 

島へ島へと

石垣の一夜-2

仕方なくて、街のほうに移動する。すでに夜遅いから、どこでも眠れるというわけではない。そこで寺に行った。石垣市には古刹があった。
南海山桃林寺は慶長十九(一六一四)年創建の、八重山で最初の仏教寺院である。慶長十四(一六0九)年に琉球に八重山の測量をおこない、社寺の建立を国王に進言した。そこで建てられたのが桃林寺と、その隣の権現堂だ。天明七(一七八七)年に再建された権現堂は、八重山に現存する最古の建物で、重要文化財に指定されている。
桃林寺の仁王像のある山門をくぐり、本堂にいく。本堂は尾根の庇が広くて縁側があり、そこに寝袋を置けば充分に一夜の宿りとなる。ところが先にすでに客がいた。私と同じような旅行者が三人先に寝ていたので、私は一番外側に寝袋をひろげていた。
少し寝たところで、雨が降ってきた。そのために本堂の奥の方に上がった。
あまりに奥までいかなければ失礼なので、半分は雨に濡れそうなところに控えめにいた。そうこうしてるうちに、庫裏のほうから人がやってくる影が見えた。近づくと、寺の奥さんである。私は怒られ、どこかにまた移動しなければならないのではないかと覚悟した。
「そこで何をしてるんですか」
奥さんは強い声でいう。
「すいません。ちょっと寝かせてもらっています」
私やその場にいたほかの三人は恐る恐る返事をする。
「そんなところで寝たら風邪をひくでしょ。もっと奥の方にはいりなさい」
奥さんはこういってくれたのである。本堂の奥の縁側に、私たちはごそごそと移動した。おかげで濡れることなく一晩過ごすことができた。
沖縄が本土に復帰する前まで、旅行者がまだ珍しい頃の話である。

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