製糖工場

 

島へ島へと

製糖工場

与那国の援農隊で、畑の作業をする人はそれぞれの農家に住み込むのだ、製糖工場で働く人は民家に分宿する。「民宿さきはら」は、そんな援農隊の宿舎になっていた。その宿舎は援農隊で、砂糖キビをつくっていた。
その時は私は援農隊の組織者の共同通信社遠野浩之さんといっしょで、まず、見学をするつもりであった。「民宿さきはら」に旅装を解き、遠野さんといっしょの部屋にはいった。民宿には人があふれ、ほぼ満室だった。与那国島では豊年祭などの祭りも多いのだが、砂糖キビ刈りはもちろん島の基幹産業なのであるが、祭りのようでもあった。民宿でも、砂糖キビ畑での仕事もあるし、宿泊客の世話もあるし、てんてこ舞いであったろう。ご主人が畑にでて砂糖キビ刈りをやり、奥さんが民宿の世話をすると決め、分業にしていたようだ。夕方になると野良着のご主人が帰ってきて、同時にいっしょに畑で働いていた若者たちが戻ってきて、民宿はにぎやかになるのであった。
「民宿さきはら」にとまっている外来者は、多くが製糖工場で働いた。製糖事業はひとつの宿命を持っている。畑で刈り取った砂糖キビは、可能なかぎりすみやかに製糖工場に運ばなければ、糖度が落ちてしまう。出来上がった砂糖は品質が悪くなる。ということはつまり、砂糖キビは保存がきかないということである。

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