砂糖キビ畑へ-2

 

島へ島へと

砂糖キビ畑へ-2

 

那覇の空港前の庭には、桜が咲いていた。私はコートを手に持ち、その上でセーターを脱いだ。日本列島は南北に細長いため、風土の襞が深いと、改めて実感するのであった。あらかじめ予約をしておいたビジネスホテルに旅装を解く。そこは島敏夫さんが冬を沖縄で過ごすために宿泊するホテルだと、以前前川信治さんに教えてもらったところで、私も前に一泊していた。泊港の南側に面していた。私は三十三歳であった。十年前ならば、ハーバービュー・ホテルと称して、港に野宿したであろう。ビジネスホテルに泊まったのは、私が若くなくなったということもあるが、そもそも日本に復帰して以来、昔のような野宿が許されなくなっている傾向である。かつての沖縄らしいおおらかさが少しづつなくなっていると、私は感じていた。那覇に着くと、まず私は波之上に行ってみることにしている。かつて私がボーイとして働いたナイトクラブの「ビアホール清水港」がどうなっていくか、確認したいからである。「ビアホール清水港」は跡形もなく消滅し、その後派手なネオンサインに飾られたナイトクラブ「チャイナタウン」になったが、それも取り壊されてビルになっていた。そこは内地からの観光客のための沖縄料理店が、テナントとして入居していた。何もかのが激しい速度で変化していく。

昔からまったく変わらないのは、マチグワーだった。旅人にまで「魚を買いなさいねー」と声をかけてくるオバーたちは、相変わらず元気だ。この変わらないところが、旅人にはまことに心強い。私はマチグワーで、砂糖キビ畑で使う合羽と長靴を買った。砂糖キビ刈りをする時に調子よく身体を動かせるよう、喜納昌吉のミュージックテープ「ブラッドライン」を買った。ここには「アキサミヨー」「ジンジン」など調子のいい曲がはいっていたからだ。

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