ナナサンマル音頭

 

島へ島へと

ナナサンマル音頭

沖縄にいって正直のところ私などが当惑したのは、流通する紙幣はドルで、車は右側通行であったことだ。すべてがアメリカ式なのである。私は子供の頃から「車は左、人は右」とイギリス式交通方式をたたきこまれてきた。

今でもそうなのだが、外国にいって一生懸命左側を見ていて、渡ろうとしたら右から車がやってきたという危ない経験を何度かした。しかし、三時間くらいすれば慣れてしまう。車を運転していて、交差点などにはいり、一瞬アレッと迷うこともあるが、それもすぐに慣れてしまう。

沖縄は日本に復帰した。一九七二(昭和十七)年五月十五日のことである。その時、流通する貨幣も変わり、いろんなことが混乱した。その一つが交通方式の変更である。人は何もかもを一気に変えることはできないので、できることからやることになる。米軍基地に関して、核つきとか、核の自由使用とか、沖縄基地の利用について日本本土と異なる特別の条件をつけることなく沖縄の返還を求めるという議論があった。交通方式も本土並みになることになった。

それでも復帰後六年間は変更されることはなかった。アメリカ式の右側通行は、米軍占領以来三十三年間である。その習慣になじんだ人には、反対側に車を走らせようといっても簡単にできるはずもない。自分一人だけが反対を走れというのなら、まわりにあわせなければよいのでなんとかなるが、全員が一斉に変えるのだ。

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