沖縄へのラブレター-2

 

島へ島へと

沖縄へのラブレター-2

「私たちは、今沖縄の人びとが抱えているさまざまな問題を少しでも共有したいと思います。私たちは単なるキビ刈り労働力としてだけ与那国島に出掛けて行くのではありません。援農隊の趣旨は、単なる観光旅行ではうかがい知ることのできない沖縄の現実を、生活と労働を共にすることで共有するということです。今回の与那国援農隊がそのきわめて有効な試みであると信じています。そして、さまざまな困難な問題を乗り越えて、今回の援農を成功させることが、沖縄と本土の新しいつながりの一歩となることを私たちは期待しています。」

一九七六年一月二十一日の日付があるから今から三十一年前に書かれた文章を読み、ウチナーとヤマトの距離を感じるとともに、その差が表面的に薄まり、ウチナーとヤマトもグローバルスタンダードの荒波にもまれたことを私は感じるのである。苦しい条件の含めて与那国島はどこまでも与那国島であり、ウチナーはウチナーで、ヤマトはヤマトであった。その文化の差異を感じることが、旅の深い楽しみであった。差異を感じたなら、自分たちが身に帯びている風土や文化への客観的な視座を持つことができる。

このアピール文は藤野さんによるラブレターなのだと私には思える。恋する相手は、正確な情報がないのでよくわからないのだが、自分の気持ちはまったく変わっていないと呼びかけている。恋人を案じる気持ちが、今からではいじらしいような感じがする。私は同じ時間の中でこのアピール文に接したのではないが、同じ気持ちを持っていた。「沖縄の現実を生活と労働を共にすることで共有する」という問題意識である。若い私たちは砂糖キビ畑でともに汗を流すことが可能でこの方法が沖縄の真相に触れるのに最も有効で手っ取り早い方法だと思えた。私も藤野さんとじかに話して共鳴するところが多く、そのアピールから四年後の一九八O年に援農隊に参加している。

この真情あふれるアピールが沖縄の新聞に載ると、さっそく大きな反響があった。

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