妻には気を許すな

 

島へ島へと

妻には気を許すな

久米島から琉球中山王への朝貢船が難破し、与那国島に漂着した。船に乗っていた犬が男たちを一人残らず喰い殺し、最後に女と犬とが残った。その犬も子は名島からやってきた男に殺された。与那国島に伝わる「いぬがん」の話は、池間栄造氏の「与那国島の歴史」に採録されている。久米島や小浜島が船をつくり操って海を越えるほどに、文化的であったことを示している。一方、与那国島はそれまで人に飼われていた犬が生き生きと甦り、それまでの主人を喰い殺すほどに、野生の世界だったのである。琉球の離島文化の発展度は、多様であったことを示している。
故花島の男にこんなにも勇敢な行動をとらせたのは、久米島の女が類まれな美人であったからだ。男は犬退治の武勇伝を得意になって話したことでしょう。女は犬と情をかわしていた。暴力的な支配があったのだとしても、なにがしかの思いはあったはずである。女は犬をどこに埋めたかと聞いた。何かを感じたのか、男はその場所を語らなかった。女とすれば、この圧倒的な自然の中で男にすがらなければ生きていけなかったのである。女は男と夫婦となり、五男二女を産んだ。
海にいけばいくらでも魚はいたし、浜にはまるで石ころのように貝が転がっていたであろう。山にはいれば、木の実や草が好きなように採れたはずである。圧倒的な強さの自然の中では、男と女が一体となって生きるのが自然であった。二人は幸福な暮らしを送っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA