砂糖キビ畑へ

 

島へ島へと

砂糖キビ畑へ

一九八一年二月十一日、私は宇都宮郊外にある家を出発した。一年中で最も寒い季節で、内陸的気候の栃木県宇都宮は緯度のわりに寒い。樹木や屋根やアスファルト路面は、銀色の粉をまいたように霜で真白だ。私はリュックを担ぎ、白い息をはきながらバスに乗った。

宇都宮駅から上野駅行きの東北本線の電車に乗った。当時はまだ東北新幹線が開通しているわけではなかったので、急行に乗ったのであろう。関東平野を疾走する車窓で、私は不安を覚えていた。砂糖キビ畑での仕事に耐えきれるかどうか、地震がなかったからだ。

私は三年前まで、故郷の宇都宮市役所に勤めていた。だがそれも辞め、小説執筆に文字通り専念する日々を送り、「遠雷」なども発表していた。それから原稿用紙千枚を超える長篇小説「歓喜の市」の執筆をすませたばかりで、あまりにも作品に集中したので疲れてしまった。そこで身体を動かして、汗をかきたくなった。疲れたのなら温泉に行くのが普通なのだろうが、私は若くて元気だったのだそれと一年ぶりに沖縄にいきたかったのである。

砂糖キビ畑で、肉体労働の単純な喜びを取り戻したい。また日本に復帰して九年たった沖縄の現実を、離島でも一番端の与那国島から見詰めてみたい。そしてなにより、私自身の旅心を満足させたい。改めて数え上げてみれば、そんな理由からであったろう。

羽田から飛行機に乗り、那覇にいった。宇都宮ではよほど早くなければ、石垣ぐらいまではいけるが、与那国島までは無理である。それに時間はたくさんあったのだから、沖縄を楽しみながらゆっくり南に向かいたかった。急ぐ理由は何もなかった。

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