ダマトゥ・ハガト-2

 

島へ島へと

ダマトゥ・ハガト-2

 

屋島で破れた平家一門のうち、節操もないものは降参して捕虜となり、二君に仕えて源氏の臣妾奴僕となることを拒んだ忠節の人々は、遠く南洋諸島に流れていった。そして、ついに与那国島で没したのである。

こうして笹森は、忠義の神魂を慰すというのだ。この独善は、明治の人間の一面である。そして、南島の与那国島を皇国史観の地と位置付けようという意図がかいまみられる。

笹森は頭蓋骨を京都大学の解部教育に持ち込み、鑑定を依頼した。鑑定によると、数百年以上前の人骨とは思えず、しかも、日本人一般の人骨とは異なるということであった。平家落人説になって、八重山群島調査隊が与那国島にやってきて、ダマトゥ・ハガトの調査が行われた。それによると、近代の人骨であって、まわりからは十六世紀以降の南中国やベトナムの陶片が多数見つかった。つまり、墓であるのことはは間違いないのであるが、それ以前に住居として使用していた形跡がある。火を燃やした跡があり、食用にしたと思われるヤエヤマ・オオコウモリの骨がでてきた。食用のヒザラ貝もたくさん発見された。池間栄造氏はつぎのようにいう。

「ダマトゥ・ハガの語意は、ダマは山、トゥは山奥、ハガは境界であるから、いわば山奥の境界であって、墓の意味はないようである。」

こうして、ダマトゥ・ハガトの平家落人説は一蹴されてしまったのである。

 

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