沖縄ロック

 

島へ島へと

沖縄ロック

那覇に戻り、波之上のビアホール清水港にいこうか、ごく当たり前に安里ユースホテルに行こうかと、港で一瞬迷う。泊港からは、南に向かうか東の向かうかということである。結局私はザックを担いで南へと一歩をしるすのであった。

波之上の景色は何も変わらない。昼間はネオンも乾いた骨のように見え、精彩にあふれる夜の賑わいを知っていると、まったく別世界である。歩いている人も化粧をしていないホステスなどで、どことなく緊張感が漂っていない。アメリカ兵たちも朝の点呼があるのかどうか、朝までうろうろしている姿はない。街は脂気がぬけている。

ビアホール清水港のたたずまいに、なんの変化があるわけではない。夜な夜なここで酒と女の乱痴気騒ぎがおこなわれているかと思っただけで、なんとなく涙ぐましいような思いにとらわれる。ベトナムの戦場に送られて明日死ぬかもわからないアメリカ兵たちと、刹那のうちに彼らを慰め励ます沖縄の女たちと、彼らの間に介在するのはドルである。それとささやかな人間の情だ。

ずっと後になるが、私はロック歌手喜屋武マリーと話したことがある。私が波之上で働いたというと、みんなたいてい疑わしそうな顔をする。私はたまたま紛れ込んだにすぎないのだが、マリーはコザのゲート通りのクラブで歌っていた。マリーという名から、アメリカ兵たちは聖母マリアを連想し、明日ベトナムで死ぬかもしれないという恐怖をぶつけたのだそうである。

 

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