泡盛以前の会社

 

島へ島へと

泡盛以前の会社

朝鮮漂流民の見聞には、十五世紀の終わり頃、尚真王が統治した琉球王朝の離島の雰囲気をよく伝えている。池間栄三「与那国島の歴史」の記述を参考に、描写を試みてみよう。

酒は口で噛んでつくり、麹は使わない。したがって発行は弱く、アルコール分は薄い。飲んでも微酔をする程度であったろうということだ。

泡盛と行く言葉がはじめて見られるのは、一六七一(尚貞三)年幕府への献上品目録であるとされる。昔は酒精度をはかるのに「泡を盛る」という方法があったとされ、そこから来ていると考えられている。沖縄では「焼酎」と書いて「サキ」と呼んでいた。したがって、泡盛と呼んだのは琉球ではなく、薩摩のほうであったと考えられている。

泡盛はシャム、現在のタイより伝来したとされる。シャムと琉球が通航したのは約五百年前のことだとされ、そうであるなら、朝鮮漂流民は泡盛がはいってくる以前の沖縄の見聞であるということになる。口で泡盛を噛み、垂液の中のアミラーゼを酵素とする原始的な酒は、自然発生的に生まれたのであろう。飲んでも微酔する程度であったというから、製造に手間のかかることを考えれば、嗜好品というよりも、祭祀に使われたのではないだろうか。濁酒で、たくさん飲んでわずかに酔う程度であったとすれば、今日のようには酒による暴力沙汰はなかったと考えるべきである。

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