島へ島へと
仕事が終わった
製糖事業は三月中を聞くと与那国島では草蝉と地元で呼んでいるゴキブリほどの大きさの小さな蝉が発生し、砂糖キビにとまって鳴く。畑で蝉が鳴けば騒然とした気配になってくる。
与那国の夏は、畑で働くようななまやさしい状態ではなくなってくる。夏は畑はほとんど休みになる。それが、島で生きる生活の知恵というものだ。
製糖工場の操業は三月六日にはじまった。本来は一月十一日に操業開始予定だったから、頭初の予定より二ケ月遅れということになる。三月中に全作業を完了させるのは不可能となったのである。
援農隊には当然一人一人の事情がある。過疎で苦しむ離島を救うためというボランティア精神から行動を発した人が多いのだが、ボランティアとは生業または本業が別にあるということだ。学生ならば四月になったら大学に戻らなければならないし、職業が決まっている人は会社にいかなければならない。そうしないと人生設計が大幅に狂うことになる。
援農隊のうち、事情を抱えた多くに人が返っていき、残された人だけでは製糖工場も砂糖キビ畑も作業をつづけることが困難になった。そこでまた助っ人を頼まなければならない。島は再び苦悩することになったのである。