ウラブ岳の月見

 

島へ島へと

ウラブ岳の月見

民宿さきはらは夕方になると出かけていく人があり、しばらくすると帰ってくる人もいた。製糖工場は十二時間交代で、昼夜は一週間に一度は交代する。帰ってきた人は、まず、お風呂に入ってさっぱりし、それから夕食をとる。民宿のおばーは、これら出勤する人のためにと、仕事から帰ってきた人のためにと、二度夕食を出さなければならないということになった。

夕食が終わると、おばーは、一安心するようであった。おばーも昼食は砂糖キビ畑に出てキビ刈りをしているのである。夕食の支度のために畑から少し早く切り上げ、近所のおばーに手伝いにきてもらっていたかもしれないが、満室の客に朝晩の食事を供するのは大変なことである。だが砂糖キビの季節はみんなが頑張る島で遊んでいる人は一人もいない。役場や農協に勤める人は土曜日の午後と日曜日は鎌をもって畑にやってくる。内地からきた学生が海岸でテントを張ってキャンプをしていると、畑に引っ張り込まれる。その翌年のことだが、そんな学生たちを私はたくさん見たのであった。島外からたくさんの若者がやってくる砂糖キビ刈りの季節は、島の人たちにとって楽しみの一面もあるようだった。はじめは他所者(よそもの)に慣れなかった島人も、よそからくる人は結局島を救っているとの認識が広がってきて、そんな変化を受け入れてきたようであった。「ウラブ岳にお月見にいきましょうかねー。今夜満月だから、きれいですよー」

民宿さきはらのおばーがまわりの人にいきなりいう。いこういこうということになり、民宿さきはらのおじーがトラックを運転することになる。みんなは我先にと荷台に跳び乗っていく。私も乗った。

島の外では人がトラックの荷台に乗るのは道路交通法違反になるが、島ではトラックは最大の交通手段だ。駐在所に警官が一人いる。そんなことでそんなことで取り締まろうものなら、実際に取り締まった例がないのでわからないにせよ、大変なことになるに違いなかった。

今でこそ島内にはアスファルト道路が縦横に通っているのだが、当時はウラブ岳にいくにはずいぶん迂回していかねばならず、しかも砂利道であった。暗い夜道をトラックが大きくバウンドするたび、荷台の鉄板に尻をしたたかに打たれ、荷台に乗っている男も女も一斉に悲鳴を上げる。それがまた楽しかったのであった竹が道の方にかぶさっていて、荷台を掃くようにしていく。そんなことでもまた悲鳴が上がる。気持ちのよい風が吹いてくる。私は三十歳の半ばであったが、まるで青春が戻ってきたような気分になったものだ。ウラブ岳の山頂には大きなアンテナが並んで立っていた。そのために工事用の道路が通っているのだ。おかげで私たちは月見ができる。トラックが止まったので荷台から跳び降りると、四方に海が見えた。暗い海と月あかりが染みた空との間に、微かに水平線が見えた。満月の下の海は、黄金の光の粉がこぼれたようにキラキラと輝いていた。本当に粉が降りそそいでいるかのように見えた。自分は今日日本列島の最南西端の与那国島にいるのだと、荷台に乗ってきた連中は皆しみじみと思ったに違いない。

運転台にいたのはおじーとおばーだった。おばーは三線を持ってきていて、みんなの前で民謡を歌いはじめた。三線が出てくると、ナイチャーは聴く側にまわるしかなくなる。文化の違いを思い知るのだ。いつしかウラブ岳山頂の月見の会はおばーの民謡を聞く会になっていた。月も聞いているかのようであった。

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