日本の札。

 

島へ島へと

日本の札。

東京のナイトクラブ探訪に、私が案内人としてふさわしくないと気づいたマスターは、一人で歩きだすようになった。新宿の三色メニューのナイトクラブにいった時も、次の店へは自分一人で歩いていった。大体の場所がわかったら、経費のこともあるし、私は行かないほうがよかった。

私が先に下宿に帰って寝ていると、明け方頃にマスターはずいぶん酔って、御機嫌で戻ってきた。「東京はチップの習慣がないねータクシーの運転手にチップやったら、喜んどったさー。あんなに喜ぶのんかねー」マスターはいかにも不思議だというふうにいう。チップはそもそもがヨーロッパかアメリカの習慣で、東京あたりではほとんどない。マスターがあまり驚いたふうにいうももだから、私は問う。「いくらあげたんですか」「これだよ」マスターが財布からだして私に見せてくれたのは、五千円札だった。今の五千円よりも遥かに大金である。

「こんなに・・・・」

「喜んだからいいじゃないか」

「五千円ですよ」

「何ドルか」

「五千円を三六Oで割ってください」

マスターは頭の中で計算し、拳を自分の掌に打ちつける。しまったということだ。私の下宿の一月分の家賃はどである。「暗いからわからんよー」マスターはいかにも残念そうにいうのであった。「運ちゃんはよろこんだでしょう」「それは、本当にいただけるのかって、何度も聞いたよー」「そりゃそうですよ」「日本の札はわからんよー」残念そうにマスターはいうのである。当時沖縄はアメリカ・ドルを使っていて、マスターには日本の札は馴染みがない。千円も五千円も一万円も、札のデザインをよくよく見て頭で考えなければ、判断がつかないのである。その逆のことが、沖縄にいった時の私などにもいえた。百ドル紙幣などはめったに見ることもないのだが、それも一ドル札と同じような色とデザインと大きさである。印刷されている人物の顔と、金額の数字だけが違う。支払う時には数字をよく確認してからにする。それは今でもアメリカにいくと経験することである。形もデザインもまったく違うのであるから、日本の札のほうがまだわかりやすいということになる。マスターは東京で大いに札びらを切ったようであるホテル代を浮かそうと発想したくらいだから、そもそもの所持金もたいしたことはなかったのかもしれない。マスターは東京のナイトライフを存分に楽しみ、また船で帰っていった。飛行機も飛んでいたはずだが、飛行機に乗ろうという発想は、貧乏な学生の私はもとより、多少金を持っているマスターにもなかった。

しばらく後で私は波之上の「ビアホール清水港」にいったのだが、その時チーフが、私の耳元でこんなふうに囁いた。「マスターは新宿で大暴れしたそうだねー何か気にいらないことがあって、ナイトクラブの店長呼び出して、テーブルひっくり返したそうだねー。店長は土下座して謝ったってねー」

「それはすごかったですよ。どうなることかと思って」

マスターの名誉のために、私はこう答えたのだった。

 

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