粟一斗の値段の男

 

島へ島へと

粟一斗の値段の男

与那国島の族長ウニトラは、そもそもが宮古島の狩俣の生まれである。宮古島が飢餓になり、与那国島の商人がウニトラを十歳の時に粟一斗で買ったとされる。ほとんど奴隷同然の悲惨な暮らしをしてきたのである。

ウニトラは文武両道のすぐれた男に成長した。身長は緋一丈五寸あり、頭は三斗俵の大きさもあったと伝えられる。このような豪傑になり、力は強い上に頭もよい。このウニトラが成長するにおよんで、与那国与人は自分の支配力がおよばないことに危機意識を持ったのであった。

与那国与人は那覇の中山王府に対し、与那国島のウニトラという人物が反乱の意思ありと伝え、援軍を求めた。与那国与人とすれば狭い島ではほかに逃げ場所があるわけではなく、生命の危機を感じたのであろう。中山王府へ援軍の要請をすると同時に、西表島やその周辺の島の勇士にも呼びかけ、ウニトラとの戦さを仕掛けようとしたということである。それぞれの島には腕に覚えの勇者がいて、波照間島からウヤミシヤ・アカタナという男が呼びかけに応じて参じてきたということだ。

南海で反乱が起きようとしているという知らせに、中山王府の尚真王は宮古島の頭にウニトラを滅ぼすように命じた。宮古島の頭は仲宗根豊見親空広で、尚真王は特に彼に治金丸という御剣を貸し与えた。仲宗根豊見親空広は尚真王に恩義を感じ、兵を集めると、ただちにうにとらを討つべく海を渡っていった。この仲宗根豊見親空広は兵たちともに、四人の女神宮をしたがえていた。どのような行動をとったらよいかわからず、迷った時には、女神宮がト定(とじょう)によって決定していたのであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA