沖縄へのラブレター

 

島へ島へと

沖縄へのラブレター

与那国農協は事実上倒産状態にあり、製糖工場を葬儀用資金はない。しかし、畑には砂糖キビが刈り取りを待つばかりに育っていって、時機を逃せば立ち枯れになる。倒産は農協ばかりではなく、個々の農家にもおよぶであろう。まさに土壇場まで来ているのに、援農隊は東京を出発できないでいた。苦労して準備してきた援農隊にとっても、我慢の限界にきていた。そこで藤野浩之さんは沖縄タイムスと琉球新報に「与那国島サトウキビ刈り援農隊アピール」を出す。藤野さんの著書「サトウキビ援農隊」より、そのアピールの内容を要約する。沖縄の離島では労働人口の極端な不足に苦しみ、本土では沖縄の風土と文化をもとに労働をして学ぼうという希望がある。沖縄県の失業率が高くなっていることも知らないわけではないが、援農隊を送ることは与那国島にとっても、現地での生活体験を望む人にとっても有意義のはずである。

与那国島農協との二年越しの話し合いの条件を示して本土で募集したところ、定員六倍の募集があり、そのうち八十人を選考した。この中には会社を辞めて参加を望んだ人もいる。出発予定日の三日前に、電報で与那国農協より出発延期の要請があった。援農隊ではとりあえず出発延期を決め、参加者に知らせた。アピール文は次のようにつづく。

「私たちは、今沖縄の人びとが抱えているさまざまな問題を少しでも共有したいと思います。私たちは単なるキビ刈り労働力としてだけ与那国島に出掛けて行くのではありません。援農隊の趣旨は、単なる観光旅行ではうかがい知ることのできない沖縄の現実を、生活と労働を共にすることで共有するということです。今回の与那国援農隊がそのきわめて有効な試みであると信じています。そして、さまざまな困難な問題を乗り越えて、今回の援農を成功させることが、沖縄と本土の新しいつながりの一歩となることを私たちは期待しています。」

一九七六年一月二十一日の日付があるから今から三十一年前に書かれた文章を読み、ウチナーとヤマトの距離を感じるとともに、その差が表面的に薄まり、ウチナーとヤマトもグローバルスタンダードの荒波にもまれたことを私は感じるのである。苦しい条件の含めて与那国島はどこまでも与那国島であり、ウチナーはウチナーで、ヤマトはヤマトであった。その文化の差異を感じることが、旅の深い楽しみであった。差異を感じたなら、自分たちが身に帯びている風土や文化への客観的な視座を持つことができる。

このアピール文は藤野さんによるラブレターなのだと私には思える。恋する相手は、正確な情報がないのでよくわからないのだが、自分の気持ちはまったく変わっていないと呼びかけている。恋人を案じる気持ちが、今からではいじらしいような感じがする。私は同じ時間の中でこのアピール文に接したのではないが、同じ気持ちを持っていた。「沖縄の現実を生活と労働を共にすることで共有する」という問題意識である。若い私たちは砂糖キビ畑でともに汗を流すことが可能でこの方法が沖縄の真相に触れるのに最も有効で手っ取り早い方法だと思えた。私も藤野さんとじかに話して共鳴するところが多く、そのアピールから四年後の一九八O年に援農隊に参加している。

この真情あふれるアピールが沖縄の新聞に載ると、さっそく大きな反響があった。

 

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