砂糖キビ畑で働きたい

 

島へ島へと

砂糖キビ畑で働きたい

与那国島の援農隊前史として、藤野雅之氏「与那国島砂糖キビ狩り援農隊」に戻ろう。砂糖キビ畑の援農隊として、生活文化の違いなどから韓国人労働者の受け入れは困難だということがわかった。そこで共同通信社の藤野雅之氏や黒田勝弘氏が与那国島の窮状を救うために、与那国町長や与那国農協組合長に、若者五十人から八十人で組織した援農隊を四十日間送る提案した。募集は本土で行い、町と農協が受け入れ、日当2500円から3000円を支払う。製糖期間の40日全期間働けば、東京と与那国間の往復船便二等運賃を支給する。工場の寮に宿泊する人と農家に宿泊する人がいるが、宿泊料は無料で、一日三食の食事代は五百円とする。援農隊の事務局は渡航費用と滞在費を島に負担してもらい、一切の報酬は受け取らない。

このような条件であった。後に私はいやというほど経験することになるが、工場はともかく、炎熱の下での砂糖キビ畑の仕事は、これ以上にないというほど厳しい。与那国島の人が「オキナワ」と呼ぶ沖縄本島からの季節労働者は、つらさをみんな知っているだけに望みが薄である。ましてこの時期はたいていどこでも製糖の季節なので、働き手を期待することはできない。台湾や韓国から労働者を入れることができない以上のことはないはずである。台湾や韓国からの労働者をいれるより、経費もずっと安くてすむはずなのである。

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