大東結び

 

島へ島へと

大東結び

その土地にはその土地なりの独特なやり方があり、それが旅人にはおもしろいのである。今の砂糖キビ刈りは、砂糖キビは長いままトラクターで集めてダンプの

荷台に載せ、製糖工場に運んでいく。かつては人が担げる十キロからに十キロの束にし、それを水牛の引く荷車に乗せて畑の外に出し、トラックで搬入していたのである。

その束を作るために藁縄で結ぶ方法が、大東結びである。おそらく大東島ではじめられた結び方なのだろう。砂糖キビ束に縄をまわし、腰を落として膝で束をおさえつけ、一度縛ればほどけない結び方であった。砂糖キビは一本一本曲がっているから、縄をただ回しただけでは結束できない。熟練した人の大東結びは、砂糖キビの束もびくともせず、それは見事なものである。

私は援農隊の仕事が終わって家の帰り、新聞紙を束ねるのもこの大東結びでした

新聞束を膝でおさえつけ、紙ひもをまわす。紙ひもでも新聞はしっかりと結束されるので。しかし、時間がたってこのやり方を忘れてしまった。今度改めて教えてもらおうと思っているのである。

このようなわけで、藁縄も砂糖キビ畑では必需品だった。

援農隊で働いていると、いろいろなことを学ぶのである。しかし、援農隊員と島人では、援農にたいする意識に開きがあった。遠くから時間をつって参加した援農隊員は、人で不足で困っている島を助けるのだという自負があった。日当ももらっていたが、金額のことだけを考えると、本土で働いたほうが多くもらえた。

そんなこともあって、島を助けるというやや驕ったき持ちもないわけではなかった。

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