戻らなければにドアをひが島へ島へと

 

島へ島へと

戻らなければにドアをひが島へ島へと

はじめての与那国

私ははじめて与那国島に立った時の印象を書こうとしている。

滑走路は海に沿ってある。飛行機のタイヤがアスファルトの滑走路に触れ、激しい揺れがあって、やがて静かにある。窓の外が与那国島なのだ。

スチュワーデスがドアを開くと、機内では乗客がほっとした様子ででいっせいに立ち上がる。頭上の棚や足元から荷物をとり、外に向かっていく乗客の一人が私である。頭を縮こめていなければ、機内では歩けない。踏むと揺れやすいアルミの小さなタラップを降り、滑走路と続いたアスファルトに立った。足元がしっかりしているので、安心した気分があった。

太陽の光は強いとも感じたのだが、不思議と明るいというようには感じなかった。私は新川明さんの「新南島風土記」や島尾敏雄さんの南島論などを読んでいて、南凕というイメージに漬かっていたからだろうか。光が強ければ、当然影も濃い。そのコントラストの強さが、全体的な風光に暗さを感じさせるのであった。

ターミナルはコンクリートのはこのような建物であった。そこで迎えの人がごったがえしていた。家族の帰りを待っている人もいるのだろうが、旅の人を迎えにきた人も多いはずだ。なにしろ十九人乗りの小型機で、迎えの人のほうがはるかに多い。人を迎えるのにこんなに熱心なのは、交通といことがこの島にとって重要な要件だからだろう。

人が行き来しなければ、この島は成り立たない。人口が少なければ自給自足も可能なのだろうが、人口が増えたので多様な食料を運んでこなければならず、現代の生活には多様な工業製品も必要なのだ。

もちろん砂糖の生産形態が交通を必要としている。砂糖キビの茎を短く切って埋めていく蒔きつけは、時間をかければ少人数でもできる。一年半かけて育てるもの、島の人数だけで充分だ。しかし、刈り取りは一気にやり、刈り取ったキビはできるだけすにやかに製糖工場に運んで黒糖に仕上げる。だから製糖時期だけはどうしても島の外の人間の力が必要なのだ。

こうして外部と交通しなければならないのが、離島の宿命である。交通するのは大変なことなのだ。そのため乗客が十九人しか乗っていない飛行機がつくたび、島の心えお率直に見せるような歓迎の仕方をする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA