南凕というイメージ-2

 

島へ島へと

南凕というイメージ-2

薩摩藩に膨大な富をもたらした。そのため人々の暮らしは厳しく、そんなところから南凕というイメージも生まれるであろう。また書物上の知識だが、過酷な表現があっても、海に囲まれた島だから、容易に逃げ出すことはできない。その現実とは、人口を調節するため、妊婦を海岸の岩の割れ目に飛ばせ、落ちたものを殺したクブラバリの伝説が物語っている。たとえ飛べたとしてもあまりのストレスのため、流産をした。食料が乏しかったために、一定以上の人口は調節する必要があった。トゥングダの伝説の悲惨である。ある時突然鍋や釜の底を叩いて合図を送り、一定時間内に島の中央部にあるトゥングダを集める。老いていたり、酔っぱらいだったり、

身体障碍者だったりすれば、短時間のうちに長い距離を移動してくるころができない。トゥングダに集まることができなかった人は惨殺されたという。クラブバリもトゥングダも私は新川明「新南島風土記」を単行本で読み、亜熱帯の明るい島に恐ろしい

南凕という印象を持つに至った。

もちろん後に私はクラブバリもトゥングダにも何度もいき、観光客にまじって記念写真におさまったり

してきた。クラブバリでは観光客たちは岩の裂け目を飛ぼうとするポーズを決まってする。成人の男が飛ぼうとして飛べない距離ではないので、実際に飛んで得意になっている人もいる。

あれは伝説にすぎないだろうなと私は思う。小さな共同体の中で、人はそんなに残酷になれない。しかし、よくできた伝説で、「新南島風土記」は八重山

の発見の書物でもあったのだ。八重山は沖縄の中の

他界で、与那国島はその最深部、他界の中の他界であった。つまり、南凕の中でも最も暗いのが与那国島であった。

その与那国に私の乗った飛行機は着陸しようとしていた。滑走路のアスファルトに車輪のタイヤが触れた。

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